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Back to the 70's (6)十和田市=馬産地
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私の生まれ故郷の十和田市は「馬産地」として有名なようです。
でも、馬産地って何?

父方の実家は畜産(乳牛も肉牛も)も手掛けていましたが、馬は飼っていませんでした。
そして、母方の実家は養豚も手掛けていましたが、やはり馬は飼っていませんでした。

確かに青森県の南部地方は昔から郷土料理で馬肉を食べます。
馬刺しはもちろん、味噌仕立ての馬肉鍋も美味しいですよ。

で、十和田市の馬産地ですが、食用の馬ではなく軍馬の産地だったというのは子供の頃から聞いていました。
でも、軍馬って戦前・戦中の頃の事で、私が生まれた頃には関係無いじゃないですか。
それでも今だに馬産地と言うのも不思議ですよね。

そこで、当時の馬産地の情報は無いかと探してみたら、ありました、こんな記事が。
「軍馬補充部があった町十和田市」(青森1748の魅力)
この記事によると、十和田(昔は三本木っていったんだけどね)の馬の歴史は文久3年(1863年)の馬市にさかのぼり、明治17年には軍馬育成所が開設され、馬産地として知られるようになったようです。
戦時中までかなりの規模(総敷地面積は13,100ヘクタール)の軍馬補充部があったそうですから、相当なものですね。

そんな歴史があるまちだからでしょうか。
実は私が子供の頃(7歳くらいまでだから'70では無いですね。)、繁華街に住んでいたにも関わらず近所に馬を飼っている家が(確かに)ありました。
それに、荷台を引く馬車が車道を走っていた記憶も、しっかりあります。
なーんと、車道にお馬さんのウンチも落ちていたりしてね。
(十和田市出身の年齢を重ねた方々は憶えているはずです。)
私は、幼少の頃、馬の歩いた跡に馬糞が等間隔で落ちていたものだから、てっきり蹄からウンチが出るもんだと思っていたんですよね。(バカだー。)

戦後、十和田の広大な軍馬補充部は官公庁用地として整備されました。
碁盤の目状に整然と区画された街並みの中心に官庁街通り(駒街道)があり、現在はさまざまな馬のオブジェが配置され、当時の馬産地の面影を伝えています。
また、現代美術館や野外オブジェがある事でも有名です。

市の郊外には「馬事公苑駒っこランド」「十和田乗馬倶楽部」なんて施設もあります。
最近は、春には「桜流鏑馬」という祭りも行われるようになったようです。
馬産地の歴史を今に伝えているのは、十和田市出身者としては嬉しいものです。

でも、私にとっての馬産地=十和田は、凍えるような冬の寒い中の、馬が鼻から湯気を出して荷車を引く姿。そして、等間隔に落ちている馬糞の思い出なんですよ。
なんか、絵になるよねー。

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2011.06.13 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


Back to the 70's (5)20世紀少年
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まあ、突然昔話みたいな記事を書き始めたのだけど、ありのままの自分を思い出す事はとても重要な事だと思うのですよ。
若い頃は本当にお莫迦で、トンガって、突っ張って、グチャグチャで、完璧の正反対の欠点や失敗だらけの人間。そんな本来の自分を思い出せば、無理に頑張って疲れたりしなくなると思います。「僕は完ぺきな人間では無い」なんてね。
(ちなみに、バカを馬鹿ではなく莫迦と書くのは、作家の新井素子さんの真似です。)



『20世紀少年』という浦沢直樹氏のマンガが原作の映画があります。
私は(原作は読んでいないし)映画館ではなくTVで観たのですが、なかなか面白かったですよ。

※主人公ケンジが少年時代に犯した過ちが、結果的に人類の危機を生み出してしまう。過去を見つめ直し謝る勇気、そして、何故"ともだち"なのか?いずれ漫画を読みたいものです。

この「20世紀少年」の主人公達の経験が、そのまま自分達のジェネレーションに重なります。(設定上、主人公のケンジは2つ年上のようです。)

・1961年 「スーダラ節」発売
・1966年 「ウルトラマン」、「悪魔くん」放送
・1966年~ TVでケロヨンが大人気で"バハハーイ"が流行語に
・1967年 映画「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」公開
・1969年 アポロ11号の月面着陸
・1970年 日本万国博覧会(大阪万博、EXPO'70)
・1973年 映画「ポセイドン・アドベンチャー」公開
・1974年 ユリゲラーの超能力によるスプーン曲げブーム

ちょうど小学生の頃、近所の空き地に秘密基地を作って遊んでいたし、確かに"バハハーイ"と挨拶していたし、ウルトラマンやゴジラが大好きだったし、スプーン曲げを本気で信じていたし・・・
ま、そういう世代です。
大阪万博には行かなかったけどね。(祖父母や父達は見物に行ったんですよ。ヒドイ話だ。)
入社した年(1985年)に、筑波で国際科学技術博覧会(科学万博、つくば '85)が行われたけど、それにも行って無いもんね。しかも、大学時代の友人達もみんな行っていないです。
今思うと、比較的近くで行われたのだし、入場券もタダでペアでもらっていたのだけど、行くのが面倒くさくてねー。

太陽の塔

70年代はオカルトブームもありました。つのだじろう氏のマンガ『うしろの百太郎』本当に怖かった。
守護霊に地縛霊、悪霊の類に「こっくりさん」。
映画では『エクソシスト』に『ヘルハウス』、そうそう、五島勉氏の書籍『ノストラダムスの大予言』なんてのもありましたね。だから私も、子供の頃はオカルトが大好きでしたね。超常現象研究家の中岡俊哉さんの書籍なんて、それこそ沢山買って読みましたから。

なんか、自分のジェネレーションって、トンデモナイ世代に感じてしまいますが、逆に、結局はオカルトは存在しない、予言というものは有り得ない、と言うのを体験してきた世代とも言えます。

70年代は公害問題が顕在化し、不安感漂う時代でもあったと思います。そんな不安感がオカルトブームにつながったのでしょうか。
だとすれば、震災後のなんとも言えない世間に漂う不安感、収束の見通しのつかない原発、これからもあり得るであろう首都圏大地震。オカルトブームが再び訪れてもおかしくないのかもしれませんね。


2011.06.03 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


Back to the 70's (4)クラブ活動にはちゃんと参加した
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小学校の頃は卓球クラブ、中学はブラスバンド部、高校は何故かマンガ研究部に所属していました。

小学校の頃、お小遣い程度の料金で楽しめる卓球場がいくつかあり、放課後によく卓球の練習に行ったものです。

しかし中学の卓球部は、個人戦で全国大会レベルの選手もいたりして物凄くハイレベルで恐ろしくて入れなくて、小学校の卓球クラブの先輩に軟式テニス部を勧められたのですが、もたもたしていたら部員不足に陥ったブラスバンド部の強制的な勧誘に乗ってしまい、(たいして音楽が得意な訳では無かったのですが)ブラスバンドに入部する羽目になったのでした。
初めてブラスバンド部に行った時、最初にとある楽器のマウスピースの音を出すことが出来るかの確認が行われました。
そこで音が出たのが(確か)二人だけ。
「キミは才能がある」なんてそそのかされて・・・手にした楽器はクラリネット。
カッコいい金管楽器は僕の手に乗る事はありませんでしたね。

クラリネットは女の子だらけ。一つ上の先輩が素敵だったので・・・「ま、いいか。」なんて純粋な動機でクラリネットを3年間吹いたのです。

クラリネット

ブラスバンド部は、応援団やバトン部と一緒に各種スポーツ大会の応援団として回るのが楽しかったですね。
同じクラスのバトン部の女の子とも仲良くなれたし。
文化祭なんかでの演奏も楽しかったし。
中学時代は勉強はちっともしなかったけど、ブラスバンドだけは真面目に続けました。

でも高校ではブラスバンド部には入りませんでした。
中学時代のブラスバンドで仲の良かった友人が同じ高校に入らなかったと言うのもあり、今一気持ちが盛り上がらなかったんですよね。
そのうち、中学の同級生がマンガ研究同好会(最初は部では無かった)に入ったこともあり、マンガなんか描く気が無いのにマンガ研究同好会(マン研)に入ったのでした。

高校入学当時はガンダムは未だ放映されておらず、ちょうど宇宙戦艦ヤマトの再放送からヤマトブームが起き始めた頃。
徳間書店から「アニメージュ」が創刊され、現在のアニメブームの始まりの頃とも言えます。
(どうでも良い話ですが、ヤマトブームの立役者は1977年の「月刊 OUT」のヤマト特集だと言われています。
。)

ともかく、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の公開初日に朝から並んで観たり、ヤマトに関する特集が組まれた雑誌はほとんど購入したり、3万円もするヤマトの豪華本を買ったり…
当時はまだ"オタク"という呼び名は存在せず、単にアニメファンと呼ばれていましたが、それなりにディープなファンだった事は確かです。

でも、別にヤマトだけが好きだった訳ではありません。
『未来少年コナン』のNHKでの本放送が1978年。映画『ルパン三世 カリオストロの城』の公開が1979年。
(ちなみに80年代にアニメ化されて大ヒットした『うる星やつら』が「少年サンデー」で発表されたのも1978年です。)
70年代の終わりは、80年代の新しいアニメブームの始まりでもあったのですね。

ともかく、マン研では、マンガは描かないけど、みんなで仲良く遊んでました。
卒業後も帰省すると集まって遅くまで飲み明かしたものです。

あ、変な事を思い出した。マン研はほとんどが女子で、当時から女子はボーイズラブが好き。「薔薇族」なんて雑誌を買っている女子もいました。
そして…部室で化粧して写真撮影会なんてした事があるよ。もう一人の男性部員とポーズをとってね。
いやー、恥ずかしい思い出だ。若い頃は、現在とは全く異なり、細くて美しかったんだよ。


ps.
オタクの語源には諸説あるけど、少なくとも1978年デビューの新井素子の小説の中で主人公に相手の事を"おたく"と呼ばせ、『機動戦士ガンダム』の中でも二人称の事を"おたく"と呼んでしました。そして、日常会話でガンダムの真似?をして"おたく"と相手の事を呼ぶアニメ・SFファンも既に出没していました。
なので、エッセイストの中森明夫が80年代中頃に言い始めたとする説があるけど、もっと以前から「オタク」は社会で(それこそオタクとして)存在が確認されていたんじゃないかな。


2011.06.01 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


Back to the 70's (3)後悔しない行いをせよ
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小学校の卒業の時、みんなで一言寄せ書きをして、その時同じクラスの女の子が書いた言葉が「後悔しない行いをせよ」。
物凄くビックリしたのを憶えています。(ちなみに自分が何を書いたかなんて、憶えちゃいません。)
小学生ですよ。大人だって後悔の連続の日々、私なんか、半世紀生きていても後悔する事ばかり。

後悔と言えば、よく「戻る事が出来たら、いつに戻りたいか?」なんて質問ありますよね。
若いころに戻りたい。20代の頃に戻りたい。なんて思う人も多いでしょう。
けれど、私が戻るとしたならば中学2年生です。

なぜか?

中1の頃は、(多分)比較的勉強したつもりですが、中2の頃の担任と相性が最悪で、色々あって本当に全く家で勉強しなくなったのです。
多少地頭に自惚れがあったのでしょう。でも、勉強しなきゃ、成績は下がりますよね。

今ならば、勉強するほど人の頭脳は優秀になって行く事を知っています。
スポーツ選手が身体を鍛えるのと同じように、頭脳も鍛えると強化されるのです。
けれど、若いころはそういう事を全くわからず、勉強は単に知識を詰め込むだけだと思っていました。
本当に愚かな事です。

とりあえず中学の授業のみの知識で高校受験は大丈夫でしたが、その後の高校生活も残念ながら勉学に励む事はありませんでした。
なんたって、高校2年で麻雀を憶えてしまったのですから。
連日のように友人と徹夜で麻雀をする。高校の近くにアパートを借りていた友人がいたので、その部屋が溜まり場となり。まあまあ、トンデモナイ高校生活を送っていました。
普通に酒も飲んでいたし、みんなが集まる部屋にタバコの煙が充満していたし。

麻雀

なんなんでしょうね。
若気の至り?
ともかく、そんな高校生活を送っていた人間は、痛い目に遭う事になります。

浪人。

しかも浪人中、大人しく勉強していたかというとそんなはずは無く・・・ま、ダメダメの人生をそのまま継続したのでした。
それでもなんとか拾ってくれる大学があり、お陰様で、今も家族ぐるみで交流のある素晴らしい友人達に出会う事が出来ました。
これも人生ですよね。

あ、高校時代に鍛えた麻雀の腕が役立ち、大学時代は麻雀にあまり負ける事は無かったですね。
(カモになった友人には、本当に申し訳ないと思います。)
でも、高校、大学と沢山麻雀で遊んだので、社会人になってから全然遊びたいとも思わない。麻雀からは足を洗いました。
ある意味、段々真面目になって来たのかもしれません。

2011.05.29 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


Back to the 70's (2)小学生の頃は思い切り遊んだ
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私が通った北園小学校は、当時のモデル校みたいなもので、時折研究授業?みたいなイベントがあり、全国から多くの先生方が集まってきた事を憶えています。
昔の指導要領ですから、今時の小学生の学ぶ内容に比べたら内容も濃く、授業時間数も多かったはずです。
その授業中、教室の後ろに知らない先生がうじゃうじゃと見学?していたのですから、多分落ち着かなかったでしょうね。
だいたい青森の田舎の小学校の授業なんて、なんの参考になるのか?と、疑問に思った記憶があります。
北小 校章

ともかく小学生の頃は、本当に遊んでばかりいて。
しかも田舎だから、勉強なんかせずに学校から帰ったら直ぐに外に遊びに出て、虫取りや水遊び、20世紀少年じゃないけど秘密基地ごっこもしました。
それこそ真っ暗になるまで遊んでいたので、いつ宿題をやったのか?
なんとなく私の事ですから、結構サボっていたように思えます。(宿題をした記憶がありませんから。)
けれども、算数の難問を解くのを友達と競ったり、社会科ではノートにびっしり調べ学習をして発表したりしたので、全く家で勉強してなかったはずはありません。
今でも、中学受験をする娘の、算数は教える事が出来る程度ですから。(歴史は無理だー。中高でサボりすぎたから。)

ちょっと自転車とかで足を伸ばせば豊かな自然があり、でも一応市街地なりの楽しみもある。そんな小規模な地方都市ならではの、のんびりした育ち方をした私は、子供達に言わせればとても羨ましいそうです。
公園で遊ぶより野原や雑木林で遊んだ方が楽しいのは当たり前。
昔は、近所の水溜りにはゲンゴロウや水カマキリやヤゴなんて普通にいたし、ちょっとした野原でトノサマバッタやコオロギを捕まえるのも普通。
夏の夕方はヒグラシが鳴き、街灯にはカブトムシやクワガタが飛んで来る。
カラマツ林

そう、十勝沖地震の頃迄は比較的繁華街に住んでいたので、自然等無かったのですが、ちょっぴり繁華街を離れただけで、ちょっとした自然に触れる事が出来たのです。

本当の豊かさって、そんな事だと思うんですよね。

(埼玉でも少し郊外に行けば、実はそれに近い暮らしが出来るみたいですが、会社に通う事を考えると出来ませんでした。)

2011.05.28 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


プロフィール

あっちゃん

Author:あっちゃん
酒を飲みながら読書するのが好きな、ただのオヤジです。
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