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ロバートキャンベルさん
カテゴリ: 言葉・文章・哲学
先日、社内で行われたフォーラムに講師と招かれたのがロバートキャンベルさん。
TVでにおなじみの有名人ですからね、当然受講しました。

今回の講演のタイトルは、「ロバートキャンベルが見た日本 ~軸足をかため、世界に踏み出す一歩のために~」。
江戸後期から明治にかけての漢文や漢詩、日本文学が専門の先生。
ニューヨーク市生まれで、カリフォルニア大学バークレー校卒業後、ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了した文学博士。
東京大学大学院教授として、国文・漢文学や日本文化論を教えているのですから、スゴイですよね。

正直言って、漢文は真面目に勉強しなかったので苦手中の苦手。
米国生まれの米国育ちの方なのに、江戸時代の文学や文化に詳しいのですから、日本人の私は恥ずかしい限りです。

私の会社は新木場にあります。
キャンベルさんは、その木場という地域の意味
 ~新木場界隈の材木屋、貯木場
 ~火事の多かった江戸を支える木材、職人達
 ~深川界隈の色街、「粋」は辰巳芸者から生まれたもの
 ~男勝りで勝気で客を選ぶ辰巳芸者
という話題から、穏やかな口調で講演はスタートしました。
(本当に穏やかで上品な方で、私なんかいかに野蛮なんだろうと思います。)

キャンベルさんは、人の活動の拠点に注目します。
人が集まり、学んだり、活動する拠点。
欧米の寺院は閉ざされた空間で他を拒絶しているけど、日本の場合は美しい庭園があったり、サロンとして他にも開放したりと、全く異なるそうです。

そこで、始まるのが京都の南禅寺にある順正書院の話。
現在は湯豆腐のお店として有名ですが、元々は新宮涼庭が開設した医学校。

キャンベルさんが神田の古書街で見つけた漢文の和書(4千円だったそうです)から、新宮涼庭が貧しい生まれにも関わらず漢学を修め、漢方医学を学び、長崎で蘭学を学び西洋医学を学び、そして京都で開業し財をなし、医学校を開設するまでを語ります。

ちなみに漢文の和書は通常の書き言葉の和書より安いそうです。

古書街で見つけた漢文の和書から当時の歴史た文化を紐解いていく、そして更に神田の古書街で順正書院で医学を教えていた方の和書を見つけます。文学部って、実は素晴らしい学部なんですね。目か鱗です。
(書き言葉の和書は4万円もしたそうです。)

新宮涼庭は、貧しかった自分が学ぶ事が出来たように、多くの若者が医学を学ぶ事が出来るようにするために、私財で「順正書院」を開設します。
順正書院では、数十名の医学を志す若者達が共同生活をしながら学んでいく。
そして、サロンとして多くの文化人が交流を深め、倉には多くの書物が自由に読める形で保存されている。

聴いているだけで、当時の様子にワクワクしますね。

江戸時代の学問所は、基本的に共同生活だったのですね。
そこから幕府が設置した「昌平坂学問所」に話題は移っていきます。

そこで学んだ佐伯藩の中島子玉の残した漢文、 「蕉葉の上に書す」(芭蕉の葉の上に文字を書く)。
漢詩は、文章が圧縮されていて、書き言葉に展開すると(キャンベルさんは「解凍」するという表現を使いました。情報処理系の人間には意味が分かりますよね)10行程度の漢詩が数ページの文章になります。(英訳すると短編小説くらいのボリュームになるそうです。)

夜が更け、周りが静かになり、月の明かりで芭蕉の木の葉の陰が障子に映る。
芭蕉の葉がまるで、自分を嬲るように。

」という文字にキャンベルさんは驚いたそうです。
<なぶる>ってエロチックな意味あいがありますからね。

ところで、キャンベルさんは突っ込みを入れませんでしたが、中島子玉は男ですよね。
なんで「」で「」とは表現しなかったのでしょうか?
男性だけの共同生活。。。いや、これ以上はやめましょう。

最後に、橘曙覧の「独楽吟」が紹介されます。(これは漢詩ではなく和歌。)
「たのしみは」で始まり「時」で終わる。
一つ一つは他愛ない和歌なのですが、52も歌うと名作となります。

では、いくつか紹介されましたが、印象的だったものを。

たのしみは 物をかかせて 善き価 惜しみげもなく 人のくれし時

たのしみは 珍しき書 人にかり 始め一ひら ひろげたる時

たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物をくふ時

たのしみは あき米櫃に 米いでき 今一月は よしといふとき

キャンベルさん、東大の1年生にこの歌を教えた時、米櫃が通じなかったそうです。
なので、米櫃が空っぽの時、別に米を見つけて1か月は大丈夫だとほっとした気持ちを説明するのに苦労したとか。ATMに例えて心情を理解してもらったそうです。

たのしみは 昼寝目ざむる 枕べに ことことと湯の 煮えてある時

たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人をみし時

たのしみは 家内五人 五たりが 風だにひかで  ありあへる時

たのしみは 衾かづきて 物がたり いひをるうちに 寝入りたるとき

多少暮らしは苦しい事もあるけど、小さな幸せにたのしみを見つける。
なんか、とってもわかりますね。

ところで、キャンベルさんの伝えたい事は何でしょう?
日本語の中にある喜怒哀楽や考え方、文化や歴史的な文脈、そういう物をしっかりと理解した上で世界に踏み出すことが重要だとおっしゃいます。
(きゃあ、自分が情けない。)

特に漢詩は、文字が凝縮されているが故、書き言葉では書きにくい強い感情や思いが書かれているとの事。
(なんたって嬲ですからね。)

是非とも日本の漢文を読んでみましょうとの事でした。

若かりし頃の反省もあるし、漢文を学び直そうと思います。
さて、何が良いかな?

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2013.09.05 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


知命
カテゴリ: 言葉・文章・哲学
論語によると、孔子は「五十にして天命を知る」と語ったとか。
自分自身の天命をきちんと自覚する年齢、と言う事ですね。

そう、とうとう誕生日が来て50歳になってしまいました。
今日から50代。40代ではありません。
もう、各種のアンケートに、40代ではなく50代と回答しなければなりません。

ちなみに、60歳は耳順(びじゅん)。
人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになるのは60歳なんだそうです。

と言う事は、孔子ですら50代はまだまだ人の言う事を素直に聴く事が出来なかったと言う事でしょうか。
聖人学者ですら・・・いわんや一般人は。

ちなみに、大前研一さんは「50代からの選択」という本で、出世欲を捨て、会社中心の生活をやめ、奥さんに見栄を張るのを止め、自分の人生を楽しめ、と語っているとか。
まあ、今更出世も期待出来ないし、既に会社中心の生活では無いし、最初から見栄など張っていないし、定年まであと10年・・・
50歳は定年後の第2の人生の準備をするための行動を起こす旬なんだそうです。
微妙に天命を知るとは違う気がしますけどね。



あと、50歳と言えば50肩。
デスクでPCに向かっている時間がほとんどだから、肩こりはヒドイからなー。来週、マッサージに行こうっと。
2011.04.20 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


因果応報
カテゴリ: 言葉・文章・哲学
先日、朝日新聞で『歎異抄をひらく』という書籍の広告を目にしました。
歎異抄・・・確か、高校時代に古文で習った記憶があるぞ。
有名な「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という一節ですね。

阿弥陀仏から頂いた念仏以上の善はなく、どんな悪を犯して阿弥陀仏の本願で助からない悪はない。
と言った事だったと思います。
念仏さえ唱えれば誰でも往生できるのか?それで良いのか?なんて、高校時代は感じたように思いますが、まぁ、浄土真宗の信者じゃないし、どうでも良いです。

元々の仏教はもっと哲学的で、神のような超越的な存在も、霊魂も認めているわけではなかったかと思います。
お墓とか、お盆とか、葬式とか、そういうのは、仏教が伝来する過程で後から既存の宗教的な儀式や概念がくっついたんじゃなかったかな?確か、そう記憶しています。(きちんと調べた訳ではありません。)

さて、仏教の教えの基本は「カルマの法則」。
「因果応報」とも言います。

一般的には、「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」と言われます。
しかし、単に原因だけで結果は生じません。
直接的要因「因」と間接的要因「縁」の両方がそろったときに(因縁和合)結果はもたらされます。これを「縁起する」と言います。

たとえば、家庭環境や学校、塾などの環境が「縁」だとして、一生懸命自分で努力して勉強するのが「因」と見れば、両方がそろって入学試験に合格という結果に結びつきますね。
 ・善因善果
 ・悪因悪果
 ・自因自果
自分の行いが結果として返って来るのです。

ところで、生まれ変わりも「カルマの法則」だと言う見方があります。
前世でのカルマ(因縁)が生まれ変わった後にも影響するとかしないとか。。。

けれど私は、決して前世とかのな話ではなく、今生での「生まれ変わり」だと考えます。
良い人が変化して邪悪になったり、逆に悪さばかりしていた人が根性を入れ替えて良い人になったり。
それもカルマの法則なのではないでしょうか。

さて、因果応報と言うと、「南総里見八犬伝」を思い出します。
昔のNHKの人形劇ではこのように歌われました。

「めぐるめぐる めぐる因果は、糸車~♪ めぐるめぐる めぐる世の中、めぐり会い~♪」

懐かしいですね。



2011.02.20 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


雨ニモマケズ
カテゴリ: 言葉・文章・哲学
昨夜のNHK「歴史秘話ヒストリア」は「雨にも負けぬサラリーマン~宮沢賢治 最期の2年半~」。

宮沢賢治といえば、岩手で教師をしたり農業をやってみたりしながら、細々と童話を書いていた、そんないイメージがありました。
しかし、この番組を見て認識を変えました。

裕福な「質屋」の長男に生まれ、何不自由なく育ち、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)に首席で入学。
やがて質入れや娘を売る貧しい農家の状況を見て、とてもだけど家業を継ぐのは嫌になり、一人で上京する賢治。
東京で童話の創作を行いますが、出版社からは評価されず、やがて岩手に帰ります。
農学校の教師になりますが、後にその教師も辞め農業指導を始めます。
しかし、所詮お金持ちの活動。農家からはあまり評価はされていなせんでした。
そして、東北砕石工場技師となり石灰肥料のセールスマンとなります。

そう、宮沢賢治の最後はサラリーマンだったのです。

工場で石灰まみれになって働く社員達のため、頭を下げ笑顔を絶やさず、会社の縁の下の力持ちに徹するサラリーマン生活のなかで“やりがい”を見つけた賢治。
ただただ、みんなの為に働く事を喜びとしていた賢治。

重い商品見本を持って東京にセールスに来る賢治ですが、病魔が身体を蝕んできます。
東京出張中に過労で倒れ、苦しい病床で手帳に書き記したメモ。
それが「雨ニモマケズ」だったのです。

賢治の死後、出張のカバンの手帳から発見された「雨ニモマケズ」のメモ。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ


「人からほめられなくても、やるべきことをやり遂げる」

賢治はとにかく、人の為に仕事がしたかった。
認められなくても良い。
元気に仕事がしたかった。
そう、丈夫な身体が欲しかった。
そんな悲痛な思いが、「雨ニモマケズ」から伝わってきます。

そういえば、娘が幼稚園時代、「雨ニモマケズ」全文をみんなで朗読(暗唱)してました。いくらなんでも、幼稚園児が暗唱するような詩ではないですよね。



2010.05.13 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


色即是空
カテゴリ: 言葉・文章・哲学
昔、レインボーマンという変身物のTV番組があって、変身する為の呪文「アノクタラサンミャクサンボダイ」が子供の頃、が結構好きでした。
(ちなみに、仮面ライダーのヒットに影響されて、当時はバカみたいに変身物がありました。)

インドの山奥で修行して、呪文を唱えてヒーローに変身するのですから、当時はかなり人気があったかと思います。

この変身の呪文、ある日法事でお坊さんが唱えたのを聞いて、驚いた記憶があります。
「何故、このお坊さんはレインボーマンの変身の呪文を唱えるのだろう?」
数年後、こ呪文は、『般若心経』と言う、仏教の教えを262文字に集積した経典である事を知りました。

この『般若心経』を読んでみて、心が惹かれたのが、「色即是空 空即是色」という有名な一節です。

「色」これ即ち「空」である。
「空」これ即ち「色」である。

なんでしょうね。

「色」とは、目に見える実体として認識できるもの。
一方「空」とは少々難しいですね。この「無」の概念が仏教の真理でもあるのです。

目に見える実体は不変ではなく、『方丈記』の無常観につながるという考え方もあります。

また、宇宙のビックバンを例えに、完全な「無」から宇宙が生まれた真理を説いている、と考える人もいます。
最近の研究では、宇宙空間の「無」は、実は本当に「無」ではなく、ダークマターとダークエネルギーで満たされている。
そして、このダークエネルギーにより宇宙は膨張を続けている。

また、量子力学の「粒子と波動の二重性」を表している。と考える人もいます。

どちらも、脳味噌が溶けそうな難しい領域の話ですね。

仏教では苦しみの原因を「煩悩」としており、この煩悩は「モノ」への執着から生まれるとしています。
ですから、この煩悩を取り払った状態が「空」であるという話もあります。

ともかく、煩悩の塊の僕には、悟りの境地など分かる訳がありません。

ただ、モノにこだわらない気持ちは、大事にしたいですね。
2010.04.23 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


プロフィール

あっちゃん

Author:あっちゃん
酒を飲みながら読書するのが好きな、ただのオヤジです。
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